【お悩み相談】信頼していた人に裏切られたとき

みなさんこんにちは、ひろみです。

最近私は、stand.fm というアプリでも音声配信しているのですが、ちらほらとご質問(アプリ内では「レター」と言います)をいただくことが増えてきました。

先日いただいのは恋愛について。

久しぶりの恋話だったので笑、昔を思い出しながら、楽しみながらご回答させていただきました。ご興味がある方は、こちらからどうぞ。

(その他の回は、stand.fm をインストールしていただき、「MY HABIBI」または「hiromi」と検索していただければと思います)

そして、本日いただいたのはこちら。

信頼していた方に裏切られたと感じるほど辛い時ってないですよね。どういう関係だったのか、どんなシチュエーションだったのかはわかりませんが、きっとなんとも言えないくらいに心が悲しんでいらっしゃるのだろうとお察しします。

私の意見なのであくまでもご参考にと思いますが、私が人と付き合う上で小さい頃からいつも心にしていることがあります。それは、

リスペクトの気持ちを忘れない

です。

ご回答になりますが、相手へのリスペクトがあった上で裏切られてしまったのであれば、ご自身に問題は全くなかったのではないかと私は思います。相手の受け取り方はコントロールできません。必要以上にご自身を責めないでいただきたいな、と思います。

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私は5歳の頃、父親の仕事の関係でタイ・バンコクに移住しました。たった3年間しか過ごしませんでしたが、様々な価値観に触れ、非常に学びの多い経験でした。

幼稚園は現地の子も通える小さなところで、私のように駐在者もいれば、ハーフの子、タイ人、障害を持った子や先生、お金持ち(見るからに)っぽいバンコク育ちっ子、いろんな人がいました。

とある日、友達のTくん家に遊びに行った時の衝撃は今でもよく覚えています。Tくんは私と同じ日本出身で、駐在していると聞いていたのでてっきり同じようなマンションに住んでいると思っていました。ところが招かれた家に入るとそこは3畳一間と言っていいくらい、狭い狭い部屋と、荒れ果てた室内でした。タイは一年中夏なので、基本的にずっとエアコンが稼働しているのですが、Tくん家は古びた扇風機が1台回っているだけ。

「ああ、同じ駐在と言ってもお父さんのお仕事によってこんなに差があるのだな。Tくんはウチに呼ばないほうがいい」

とすぐに思いました。かつ、きっとこれから大きくなるにつれどんどん話が合わなくなるのだろうなとも感じました。

また、小学校に上がってからも、日本に別荘を4軒あると自慢する子、誰かにべったりくっついていないと不安で仕方のない子、アメリカ育ちなので英語がペラペラで堂々としている子、何度目かの駐在なのにシャイで控え目な子、いろんな友達を見てきました。

帰国してからは、閉鎖的な町と団地、学校に辟易し、いじめにもあいました。いじめに対応する先生の姿を見えては思うこともあり、いろんな子供、いろんな大人がいるのだと学びました。

中学校では後々トラウマになってしまうほど、朝から晩まで学校に尽くし(尽くすという表現はそぐわないかもしれませんが、まさにそんな感じと記憶しています)、いじめにもあい、人生であれほど苦しかった日々はないと今でも思うくらいです。そんな中、小学校まで仲の良いと思っていた子に陰口を言われたこともありましたし、帰宅中、ヤンキーみたいな男の子たちに優しい言葉をかけてもらい、励まされたこともありました。

高校では進学校に進んだこともあり、比較的友人は話せる子が多く、ホッとしたのを覚えています。ただ、学校の名誉のために某有名大学を受けさせるような取り組みには落胆しましたし、疑問に思うことは多々ありました。学校も商売なのだと知りました。

大学になって、夢を追いかけてチャレンジしたけど人の目が気になって摂食障害に陥り、夜な夜なコンビニ徘徊をしていた時。自分がここまで弱い人間だと思い知らされました。憧れだった人と恋人同士になれた時、愛することがこんなにも辛いことなのだと知りました。愛されることがこんなにも甘く満たされることなのだと知りました。大好きだった姉に、些細な一言がきっかけで一切の連絡を絶たれた時、この世の終わりかと思うくらい泣きました。数年後、連絡が来た時も同じくらい泣きました。

社会人になって、新卒で勤めた会社での出来事をきっかけに、腹の底から怒りが湧き上がってくるという意味を知りました。それも自分のことだけでなく、社員か会社やそういう単位で怒れる自分に驚いたと共に、仕事のやりがいを感じるようになりました。同時期に、恋人と別れ、短い恋愛をたくさんし、チヤホヤされていると勘違いしていました。ただただ、自傷行為をしていることに後から気がつきました。複数と付き合うよりも、たった一人と真剣に向き合ったほうが満たされること、学ぶことが多いこと、楽しいということを学びました。

アメリカでは中東の親友かつ恋人ができ、本当に大切にされるとはこういうことなのかなと満たされた気持ちを味わいました。二人でいる時間があまりにも心地が良く、前世は本当にあるのかもしれないと感じました。生まれた国でここまで制約があることを知り、今の日本に生まれた自分がいかに幸せなのかを感じました。日本人でもいい人悪い人がいるように、アメリカ人もアラブ人も韓国人も中国人もいい人悪い人、気の合う人合わない人、ひらけた人そうでない人がいるのだと実感しました。昔より、男女とか年齢とか国籍とか宗教とかを重視し、物事を見ようとする偏狭的な人が大嫌いになりました。

帰国して一生懸命働きました。いっぱいお金をもらっている人や巷ではちやほやされている大人が平気で約束を破ったり、口ばっかりで仕事の実行力がなかったりするのを見て、肩書きって何だろうと思いました。お金ってなんだろうと思いました。採用の仕事だったので一日何人もの人と面談を重ね、本当にいろんな人がいて、いろんな感じ方があって、でもその中には必ず(と思っている)共通項が見えてきて、面白いなぁと思いました。それがだんだんしんどくなってきて、疲れたなぁと思うようになって、最終的にうつ病と診断されて、ようやく自分が自分の気持ちを無視し続けてきたことに気がつきました。

1年半前に結婚して、夫を通して自分の嫌なことをたくさん知って、自分は思っているよりも弱くて頼りのない人間なのだと知りました。同時に、こんなにも形相を鬼のように変えて怒り罵る私を前に、一切関係を断つとか離れるとかしない夫から、自分がこれまで夫にどれだけ愛を注いできたのかを知りました。そして当初はもう別れるしかないと匙を投げかけていた夫がどんどん変わっていくのを目の当たりにし、誰かを知ってる、って簡単に言えないなって思いました。知っていると思っていることが変わることもあるし、知っていることってその人の本当に氷山の一角なのだと思いました。

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と、長々と私の年表みたいなことを書いてしまいましたが笑、何が言いたいかというと、本当にいろんな人種(国籍ではなくて)がいるけれど、私もそのいろんな人種の一人であるし、私は相手の全てを知っているわけではないということ。そして相手も自分も環境や生まれ持った人間性でどんどん変化するということ。

結局のところその人のことを全部知るなんてできないし、人間は日々変わっていく(自分も)ものなので、知っていたつもりでも少し時間があれば違った人になっていたりする。

だからこそ、この人はこういう人だとレッテルを貼るのではなく、一人の人間としてリスペクトする。

そして同じくらい大切だと思うのは、

自分自身に対するリスペクトも常に持つ

ということです。

私は小さい頃から気が優しい方で、その場を収めるために、みんな気持ちよく過ごすためにはどうすればいいかと思うような子でした。だから家族の前では笑いを提供すべくわざとふざけたり、姉たちの話には基本的にアグリー(同意)して応援する!というスタイルを取ってきました。

しかし、20歳にもなってくると自分の考え方も意見も独自のものになってくるものです。初めて姉にバシッと言った時、翌日から連絡を絶たれたことがありました。

当時は自分を責めました。なんであの時優しい言葉をかけてあげられなかったのか、昔の私を期待して相談してくれたのではないか、となんどもなんども考えて、後悔の気持ちでいっぱいでした。

そして行き着いたのは、「これからは彼女を全面的に肯定する」ということでした。

でもそれは上手くいかなかった。

だって、私は彼女のしもべでもなんでもなくて、一人の人間だからです。私の人生を生きている人間だからです。なので、次第に苦しくなってくるのを感じました。

結局、あまり干渉しないというアプローチ方法に行き着きました。笑 もちろん、相談事や緊急事態には親身になりますし、嬉しい報告は自分ごとのように喜ばしいです。でもきっと、無理しなくてもまた昔のように仲良くできる日がくると思って、気楽に構えています。

うつ病と診断された時、心療内科の先生に言われました。

「みんな誰が悪いってことはないのよね。話を聞くと。みんなそれぞれの思いでやっている。歯車が合うか合わないかなんです」

全くもって、その通りなのだと思います。「歯車が合わない」と考えることが、どれだけ私の心を軽くしてくれたか。

そこから、人と付き合う上で兼ねてより持っていた「リスペクトの気持ちを忘れない」に加えて、

歯車が合う時もあれば、合わない時もある

と、楽に構えることにしました。

すると、姉との関係もこれまで気にしすぎていたのが、スーッと軽くなるのを実感しました。仕事でのやりとりも、友人との会話も、「あ、今変なこと言っちゃったかな」と思う時も、「相手に対してリスペクトの気持ちは持っていたし、自分もミスはする生き物なのだから大丈夫だ。(よほど失礼なことをしたら謝ればOK)」と思うようになりました。

その結果、相手が怒ろうが絶縁しようが、こちらではどうしようもないことなので気にしないのが一番。それもタイミング。歯車です。後になって自分の考えが変わって「あの時の彼の言葉の意味がわかる」と思うこともあるだろうし、逆もしかり。永遠に分かり合えないこともあります。それもご縁だと思います。

ただし。

・お金がらみ

・嘘つき(優しい嘘は別)

・約束を守らない(これも嘘つきですね)

という3点については、どれか1つでもされた場合は、私は一切の連絡を断ちます。明らかに不誠実な行為は繰り返されるからです。お金は人を変えます。信頼していた人でも、困窮するとどうなるかわからないのが人間だと思います。

それまでどんなに信頼していた人でも、残念ですが一線を引きます。「変わってしまったのだな」と思って。これも、自分自身のリスペクトと繋がると思っています。

自分を大切に、尊重して生きること

もちろん自分が絶対正しいとは限らないけれど、後から反省できたり気が付いたりして、そこから考え方や行動を変えればいいじゃありませんか。Nobody is perfect. 相手へのリスペクトと自分へのリスペクトを忘れずに、何かショックなことがあってもそれはきっと歯車がずれてしまっている時期なだけ。そう思って生きています(今のところ)。

と、とっても長文になったわりにあまりまとまりのない文章で恐縮ですが、今の私の考えを書かせていただきました。皆さんは、人と付き合う上で気をつけていることってありますか?

最後までお読みいただきありがとうございました。それでは、またお会いしましょう!

Author

maipenray3@gmail.com